神さまのいる日常とは

たま
たま

あかるさん、あかるさん!

あかる
あかる

どうした、たま?

たま
たま

神さまって、本当にいるの?

あかる
あかる

あぁ、いるとも。そこの神社にもいらっしゃるだろ?

たま
たま

たま、ネコだから分かんない

あかる
あかる

それじゃあ、たまにも分かるように教えてあげよう

神さまとは何か?

宇宙があります。

宇宙があるということは、生まれたから存在するということ。

生まれたということは、生まれた原因があるということです。

その原因が何なのかは、現代の科学でもまだ分かっていません。

しかし、古来から人はその原因を認識し、「神」と呼んできました。

一神教では、一番左の原因だけを神と呼び、以降の摂理は「造られたもの」と捉えます。

神道では、始まりの意志から枝分かれして現れた一つひとつの摂理を、それぞれ「神」と見なしました。

この枝分かれの先に、太陽・月・地球・地上の自然・etc……と続き、それらもすべて神と見なします。

あかる
あかる

太陽が太陽なのは、

「そうであるように」

という力が背後で働くからだ

それを「神」と呼ぶよ

また、古代日本では、神をその身に降ろして神懸かる「シャーマン」のような存在がいました。

このシャーマンも「神」であり、代替わりしながらシャーマンが担当する役職もまた「神」。

古代はシャーマンが王を務めましたから、王の名でもあります。

そういった「神々」をお祀りしているのが神社です。

あかる
あかる

東照宮には、”徳川家康公”がいらっしゃるよね

「家康は実在する?」と問われたら「実在の歴史的人物だ」となる

家康公の働きは、日本人全てに大層な影響を与えた

その発信元を「神」と見なして、神社でお祀りするんだ

たま
たま

影響は今もあるから、今もいるよってこと?

あかる
あかる

だいたいそんな感じかな

影響を辿れば必ず元に行き着く

存命かどうかは関係ないよ

無数の枝分かれは、人の間でも子々孫々と受け継がれ、今を生きる私たちに繋がります。

しかし、個人は枝分かれした先の細い一端であり、神そのものではありません。

神の一部である「分け御霊(わけみたま)」を持つ存在です。

この「分け御霊」通りに生きることを「惟神(かんながら)」と言い、惟神に生きる生き方が神道です。

あかる
あかる

全てのことに因果関係が存在する

あまりに複雑・膨大で捉えきれないけど、あるものはあるんだ

良き結果は、良き原因がもたらす

神さまを大切にするのは、良き原因との縁を大切にすることだね

現代を惟神に生きる

たま
たま

む~、たまにはちょっとむずかしい……

あかる
あかる

いいんだよ、頭で考える世界じゃないからね

むしろ考えるほど惟神から”遠ざかって”いくんだ

たま
たま

えっ、どういうこと?

頭で考えるというのは、「自我」の働きです。

自我とは、「自分はこうだ」という認識のこと。

産まれてから受けてきた刺激や影響によって形作られます。

中でも、悪い影響に対応するため、昔抱いたネガティブな想念が主な要素です。

それを元に考え始めるため、考えれば考えるほど「ネガティブ要素=ゴミ」が増えていきます。

また、考えるという行為は「前提と条件」から論理的に筋道を辿り、結論を導き出すことです。

前提には範囲があり、条件によってさらに範囲を狭く絞り込むことで答えを出します。

あかる
あかる

前提は「~~において」とか「~~の上で」みたいなやつのこと

条件は「~~なら」「~~の場合」とかだな

たま
たま

それ、人間がよく言ってる、よくわかんないやつだ~

つまり、考えるという行為はありのままの世界を狭く限定し、見落としを増やすことに繋がります。

考えれば考えるほど、心のゴミは増え、視野が狭くなっていく……だから惟神から遠ざってしまうのです。

あかる
あかる

他にも理由はたくさんあるけど

とりあえず「考えるより感じよう」ってところかな

現代社会は知識社会。

人が「考えたこと」によって発明された文明・システム・思想・人工物で埋め尽くされています。

その中で生きていくと、必然的に考えることは増えるばかり。

ここが落とし穴で、文明社会に適応すればするほど、「命の本来のあり方」から遠ざかるという罠が潜んでいます。

昨今はSDGsが叫ばれるようになりましたが、これはあまりに遠ざかりすぎたため、人類存亡の危機に至ってしまったからです。

時代の針は巻き戻せませんから、罠の存在を自覚しながら生きていくしかありません。

たま
たま

今って、そんなに大変な時代だったの?

あかる
あかる

人類がかつて経験したこと無いくらいだよ

現代人は、日々膨大な情報に触れています。

なんでも、江戸時代の人にとっての一年分が、現代人の一日分に相当するとか。

そういった情報は「人が考えたもの」であり、ただ情報に触れて暮らしているだけで人は惟神から遠ざかります。

ここに問題意識を持ち、命の本来のあり方に沿った日常を送ること。

それが「神さまのいる日常」です。

祓い・清めとは

たま
たま

たまはネコ通りに

生きればいいんだね~

あかる
あかる

うん、たまはそれでいいよ

問題は人のほうなんだ

たま
たま

どうすればいいの?

心にゴミが溜まり、生命力が減退すること。

これを「ツミ・ケガレ」と言います。

ツミは「積み上がるもの」を意味し、心が重たくなって気持ちが落ちる原因のことです。

ケガレは「気枯れ」とも書き、元気がない・やる気が出ないといった、「◯◯気」がなくなってしまうことを指します。

このツミ・ケガレを取り除き、きれいにすることが「祓い清め」です。

部屋に喩えるとわかりやすいでしょう。

ゴミが散乱してうず高く積もった部屋。

そこで暮らしていたら、気持ちは落ちるし、いずれ病気になってしまうかもしれません。

全部掃除してゴミを出し、汚れたところをピカピカに磨いたら……。

だいぶすっきりして過ごしやすい空間になるはずです。

あかる
あかる

なんということでしょう……!

たま
たま

……??

あかる
あかる

コホン……

ささ、次にいこうか

精神的にも物理的にも、気持ちが重くなり、生命力が減退する原因を取り除くことが祓い清めです。

その基本は掃除であり、換気であり、要らないものは捨てます。

心も例外ではありません。

心はスクリーンのようなもの。

外から受け取った情報や刺激が心に映り、意識がそれを観ています。

スクリーンが汚れ、歪んでいては、世界をあるがままに認識できません。

判断や行動を間違え、悪い出来事を招いてしまうこともあります。

果ては、自分が招いたのだと自覚さえできなくなることも……。

祓い清めは、謎の不思議パワーでもなんでもなく、極めて現実的な取り組みなのです。

あかる
あかる

誤解が多くてね……

神道の世界はリアリズムなんだよ

たま
たま

それならたまは、ニャアリズムだね

あかる
あかる

うん、たまはそれでいいかな

あらゆるネガティブな感情は、外からやってくるのではなく、外から入ってきた刺激に反応して自ら作り出しています。

祓い清めはこうした反応を起こさないようにする技術でもあり、影響を受けないようにする精神の防御法です。

嘘・偽り・言い訳・誤魔化し・責任転嫁といった理性が作り出すゴミ。

愚痴・不平・不満・泣き言・怒り・妬み・嫉み・恨み・憎しみといった感情が作り出すゴミ。

それらを祓い清め、とにかく気持ちよく日常を生きられたら、それだけで人は幸せになります。

神さまのいる日常を、あなたも送ってみませんか?

あかる
あかる

ちなみにこれを書いたあかるは

神道3流派や古武道に触れてきた人だったりする

たま
たま

みえないね~

あかる
あかる

たまさんや……

それはどういう意味だろうか?

たま
たま

え? お空が曇って、

お星さまがみえないな~って

あかる
あかる

(たまだなぁ……)